稀代のプロデューサー、クインシージョーンズの伝記映画、膨大過ぎるキャリアをうまくまとめている
30年代のシカゴ生まれで50年代から2020年代まで活動を続けたレジェンド
史上最も売れたアルバム(スリラー)と市場最も売れたシングル(ウィーアーザワールド)をプロデュースした男
ジャズ・スタンダード・映画音楽・R&B・POPS・ラップとすべての時期に各ジャンルのTOPと活動している
生い立ちは壮絶、アルカポネが牛耳るシカゴで生まれ7歳で母親が発狂、父親とも離れてギャングとして暮らす
その後盗みに忍び込んだ軍の倉庫でピアノに触れ音楽を志す
トランペットを覚えクラブで演奏して日銭を稼ぐ日々の中で下積み時代のレイチャールズと出会い生涯の関係となる
当時トップの人気だったライオネルハンプトン楽団に抜擢されツアーで世界を回る(70日間連続で演奏)
帰国後編曲能力を買われデュークエリントンやカウントベイシーと仕事をするようになり、その音源をフランクシナトラが気に入り仕事を任される
そして手掛けた「フライミートゥザムーン」がシナトラの代表曲となる
シナトラとさらに関係を深めレコーディング・ツアーに同行し一流脳生活を知る
ラスベガスでは慣例としてステージを務めるナットキングコールのようなスターであっても白人用のホテル・レストランは使えず街はずれの黒人用のものを利用しなければならなかった
しかしシナトラの一声である日を境に利用が許されるようになった
数年間のシナトラとの共同制作を経て、クインシーは映画音楽の世界に入る
黒人がまったくいない業界だったがジャズファンク風の劇伴が受け次々とヒット作になり、すぐに引く手あまたとなる
ガーシーで再ヒットした「アイアンサイドのテーマ」や後にオースティンパワーズで使われる曲もこの時期に書かれた
ソロ作やブラザーズジョンソンのプロデュースを挟み、映画「WIZ」で関係を持ったマイケルジャクソンにプロデュースを依頼され引き受ける
ミュージシャンを集めプロデュースをおこなった「オフザウォール」はマイケルソロの門出を大成功させる
続く「スリラー」は期限2カ月の突貫工事で作られた空前のヒットとなる、伝説となった表題作のPV撮影にも映画業界に詳しいクインシーが帯同していた
休むことなく仕事を続けるクインシー、今度はスピルバーグ監督とアメリカの奴隷制をテーマにした映画の製作に乗り出す(カラーパープル←ファンには不評だが監督本人はキャリアの転機になった作品として言及している)
映画は完成したがあまりにも家を空けるので妻が子供を連れて出て行ってしまう
前妻にも同じ理由で去られ、途中働きすぎで脳出血を起こし死にかけているのに懲りない男クインシー
その後チャリティー(含ウィーアーザワールド)や黒人の権利向上若手ミュージシャンの育成に力を入れ家族との関係も修復していく
80年代末にはラッパー同士の抗争に心を痛めシンポジウムを開き、ジャズマンとラッパーを共演させたアルバムを作成する
「ビバップジャズとヒップホップは似ている」と世界一早く気づいていた
ラストは黒人文化を称える美術館の設立セレモニーの監修を務めオバマ大統領らを招くなどして成功させる
過去のクインシーと今のクインシーを平行で見せる演出もうまく素晴らしい出来だった
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